島根県浜田市三隅町室谷にある大麻山神社。
国道9号線を標識通りに行くと、車の離合は絶対できないような細い道。対向車がこないように祈りながら大麻山を目指します。
やっとのことで辿り着いた大麻山神社入り口。標高600mの大麻山全体が神社の社地であるような大麻山神社はいかにも修験道の聖地、という雰囲気。
大麻山神社は、仁和四年(886)、徳島の大麻比古神社・忌部神社を勧請し、大麻山と号した。
寛平元年(889)、社殿を建立。安和二年(969)、四権現を勧請したという。
天暦三年(949)、神宮寺である尊勝寺を建立し、尊勝寺別当が神社神職を兼ねる、神仏習合の社であった。
その後、戦禍や災害により、再建を繰り返したが、明治になって、廃仏毀釈により、神社だけになったもの。駐車場のところに尊勝寺の庫裏があったという。
駐車場に車を留めると、杉の木立の中の階段を上っていきます。見えてきたのは大麻山神社の社殿。明治期に建立されているので古い社殿ではないのですが、正面にある天狗の面からパワーを感じます。
大麻山神社はには、天日鷲命 猿田彦命 大麻彦命(太玉命)が祀られています。
天日鷲命について。
天照大御神が天之岩戸にお隠れになり、天宇受売命が、岩戸の前で舞われた折、弦(げん)という楽器を司った神様がおられ、天手力男命が天之岩戸をお開きになった時、その弦の先に鷲がとまったので、神様達は世を明るくする瑞象を現した鳥だとお喜びになり、以後、この神様は鷲の一字を入れて鷲大明神、天日鷲命と称される様になりました。天日鷲命は、諸国の土地を開き、開運、、殖産、商賣繁昌に御神徳の高い神様とされます。
猿田彦命について。
天照大御神の孫にあたる瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が高天原(タカマガハラ)から葦原の中国(地上)に降臨するとき、天宇受売命も供として一行に加えられていた。
一行が天津八街(アマツヤチマタ)と呼ばれる、多方面に道が分かれる要所に至ると、そこに魁偉な顔をした大男が立ちはだかって、行くてを塞いでいたので、兵を出したが敗れて帰ってきた。
そこで天宇受売命が派遣され、「天津神が地上にお降りになる道をなぜ塞いでいるのか」と問うと、(天宇受売命に一目惚れした)大男はそれまでの態度を一変して、素直に「私は国津神の猿田彦命と申す。天津神の御子が降臨されると聞いたので、道案内をしようとお出迎えにきたのだ」と答えた。瓊瓊杵尊の一行は、猿田彦命の先導で無事に筑紫の日向の高千穂の峰に到ることが出来た。
このときの出会いが縁で猿田彦命と天宇受売命とは夫婦になったとされる。
この故事から、猿田彦命は道案内の神、道祖神とされ、出世の神、開運の神などともされた。
「鼻長八咫、背長七尺」という記述があり、天狗の原形とされる。「天地を照らす神」ということから、天照大神以前に伊勢で信仰されていた太陽神であったとする説もある。
というわけで、大麻山神社に天狗の面が掲げてあったことが納得できます。
大麻彦命(太玉命)について。
岩戸隠れの際、オモイカネが考えたアマテラスを岩戸から出すための策で良いかどうかを占うため、アメノコヤネとともに太占(ふとまに)を行った。そして、勾玉や八咫鏡などを下げた天の香山の五百箇真賢木(いおつまさかき)を捧げ持ち、アマテラスが岩戸から顔をのぞかせると、フトダマがアメノコヤネとともにその前に鏡を差し出した。
天孫降臨の際には、ニニギに従って天降るよう命じられ、五伴緒の一人として随伴した。日本書紀の一書では、アメノコヤネと共にアマテラスを祀る神殿(伊勢神宮)の守護神になるよう命じられたとも書かれている。
このことから占いの神、神事の神として信仰されています。
開運、、殖産、商賣繁昌の御利益のある天日鷲命。道案内の神である猿田彦命。占いの神、神事の神である大麻彦命。3神が祀ってある大麻山神社に、これから進むべき道を間違えずに選択していくことができるように、との思いでお詣りさせていただきました。


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