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Author:jskanon
和香思とは
和・・・心が和み(なごみ)、和らぐ(やわらぐ)お菓子です。
香・・・自然の香りを感じられるお菓子です。
思・・・自分のこと、そしてまわりのことを思う時間のもてるお菓子です。
そんな和香思のお話を中心に日本の文化をご紹介します。


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瞑想

足を組んで、坐禅のかっこうをする。暗闇で、空に向かって。

自分の今の現状を声に出して言ってみる。言っていると、だから自分はどうしたいのかが口をついて出てくる。それが答え。

私は自分が迷うと、迷った末に上記の行動をとる。すると不思議なことに、自分で自分の課題に答えが見つかる。

おそらく色々な本で書かれていたりする、「自分の内面を見つめる」ということは、自分が解決しなければならない問題を直視する勇気を持ち、その解決に向けて、自分のできる最大限の努力を自分が行う、ということではないかと思う。

自分の問題を直視することから逃げたところで、永遠に問題は解決しない。自分はこんなに一生懸命生きているのに報われないで、なんて自分とはかわいそうな人間だ、と自分で自分を甘やかす癖をつけていく。そうなると、ただ自分の不幸な状況に酔いしれていくだけで、そのマイナスの連鎖から抜け出すことができなくなる。

自分の問題を解決出来るのは、自分だけだ。誰も代わりには解決してくれない。早くこのことにみんなが気付くべきだと思う。そうすれば、もっともっとプラスの連鎖が始まるはず。

私の人生は私が決める。船頭多くして船進まず、とならないように。もしかしたら、私は他の誰もがこの方がいいのに、と思うような道を選ばないかも知れない。その結論を出すのはもうしばらく先になるが、結論を出すまで私は大いに考えるつもり。だけど、最後の決断は自分で行う。私の人生に責任がとれるのは私だけだから。

三隅勝栄堂
今日で風香がオープンして丸1年経ちました。そこで、風香では7名の為だけの「いにしえからのラブレター」をお届けしました。

万葉集の恋の歌を、白松さんの情感たっぷりの語りと山本さんの素敵なピアノの調べで奏でられました。それも風香の空間の中で。チケットを購入された7名のお客様にとってはとても贅沢なひとときだったと思います。

たった7名のために貴重なライブをしてくださった白松さんと山本さんにも大感謝です。ありがとうございました。


風香オンラインショップ
当カフェでは、茶器、陶磁器等の販売も行っております。是非一度、お立ち寄りくださいませ。

自然と人間

安岡正篤著「禅と陽明学」より

「西洋近代文化を見ると、だんだん科学が発達するにつれて、ウムベルト、環境、外物の研究から、自然と人間、天然と人間というものを分離した、セパレートした。・・・・・自然と人間を区別して、自然から人間を切り離す。
 そうすると初めのうちは人間は非常に弱い、ささやかな存在である。自然に始終支配される。ところがその自然の支配、自然の脅威をだんだん人間が征服して、ここに文明文化をつくった。人類の進歩、人類の文明、文化というものは自然の征服である。・・・ヨーロッパ民族はそういう思想でそういう文化的努力をしてきたわけです。その辺から東洋と違ってきた。
 東洋は天と人とを切り離して、・・・人が自然を征服してゆくというのではなく、人と自然とは一体であって、その偉大なる自然の中から人間が出てくる。人は自然に帰一して自然の中から自己を再発見する−こういう考え方である。これがオリエンタリズムとオクシデンタリズム、東洋的なるものと西洋的なるものとのコントラストである。
 この辺から物の考え方、感じ方、行じ方がずっと分かれてきたんですね。
 日本などは遅まきながら西洋の尻を追って一廻り廻ってきたというところです。我々の東洋文化というものが、いかに自然と合一しているものかということは、いろいろの例で従来機会あるごとに触れてきた問題です。それを原理的にいいますと、これですね。
 ところが人間は意識的自覚的存在である。そこで西洋はそういう自覚ということを尊んで、したがって人間の知性というものも非常に重んじた。つまり、西洋文明の一つの特徴は「主知主義」です。
 ところが東洋の方はそうではない。人は自然と合一による直観というものを重んずる。それは人間が自然になって、そこから心を開いてくる。人の心というものは自然の心である。天は人の心を通じて心を開いた。人間が天から離れ、自然から離れて、自然よりも人間が進歩して心というものを持つようになったのではない。東洋的にいうならば、「人の心」というものは「天の心」である。天が長き万物創造の果てに人間というものをやっと造りだして、そこに心というものを開いた。人心は天心である。人の心が発した人言は天言である。
 「天に口無し。人をして言わしむ」。これは東洋的な考え方です。天が人を通じて物を言うのである。人が勝手に物を言うのではない。人が勝手に物を言うのは、これは他愛もない片言である。本当の天の言葉であって初めて人の言葉である。
 したがって我々が心を修めるということは、天地に代わって修めるのである。・・・・・
 同じように「生民の為に(生きとし生ける民の為に)命を立つ」。人間の運命というもの、これは天が生民を通じて働くものである。そこで天に代わってというか、即ち天が命じた仕事を、始めるという仕事をやる。生民は自覚が足りないから思うようにいかない。そこで治者は生民に代わって生民の命を立ててやるのである。
 その天地の心を深く修めた人は前代の偉人である。そこで「往聖の為に絶学を継ぎ(絶えた学問を興し)」、そうして「万世の為に太平を開く」。天は道である。偉大なる真理である。法である。これは心の中に太平となる。・・・・・・・・
 だから、天然自然、偉大なる天というものから、人間を切り離して、人間本位にして常に自然と相対的に、場合によっては対抗的に、遂には自然と闘って自然を征服するなどという考え方は東洋には全然ない。東洋では自然と人間は一つである。人間は天に内在するものである。その偉大なる天から出現して流出するものである。形作られたものである。自然と人というものは本来一つであって、人間は常に天から心を開き、道を立てるものである。天というものは無限の創造であります。そこに人間観が出てくる。人間とは何ぞやという問題が起きてくる。」


昨日の食育の協議会であった愛媛大学医学部の櫃本先生の講演の中にも、「西洋医学は病気から出る症状を徹底的に叩くというやり方をやってきたが、それにより人間本来の持つ抵抗力が落ちて、免疫がなくなり、新たな感染症が増えてくるようになった。現在の医学は、自己の内在する力を引き出しながら病気と上手く付き合っていく方向になりつつある。」というお話がありました。

このような時代だからこそ、東洋的な考え方や実践が必要なのではないかと、本を読みながらあらためて思いました。

和カフェ 風香
当カフェでは、茶器、陶磁器等の販売も行っております。是非一度、お立ち寄りくださいませ。

ひと安心

今日は私にとってひと安心の日でした。

一度に二つのうち一つを選択しなければならなかったことが、時間差で選択できるようになりました。自ら選択してうまくいかなかった場合、ものすごく後悔したと思います。また、うまくいった場合でももう一つを選択していれば、もっとうまくいったかもしれない、とこちらも後悔したかもしれません。ですから、時間差での選択は、神様のご意思によるもの、と思えます。

私は自分のできることを精一杯頑張って、後は神のみぞ知る、です。


三隅勝栄堂
昼前に鳴った携帯。仕事の相手から。

電話に出ると、大手業者に提案するためのお歳暮商品の写真が必要だから、新商品を完成させて、そのままカタログに載せられるような感じの写真を撮って3日以内に送るようにと。

「3日ですか!!!」と心の中で思ったのですが、有無は言えないので、「はい」と答えるのみ。そして、風香のデザインをお願いしているリバースさんに急いで電話して、デザインと撮影の依頼。もちろん大至急で。リバースさんからデザイナーさんが早速来られて打合せ。後はデザイナーさんのお力にすがるのみ。

まずは写真選考なので、見た目の善し悪しで、第一段階が突破できるかどうかが決まります。なんだか芸能人のオーディションみたいですが、それが現実。お客様が選ばれるかどうかの判断は、見た目。なぜなら、今の時代「おいしい」のは当然のことなのですから。

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今日は、山口県JAの女性部会の料理教室があり、和菓子講座をしてきました。

前もってJAの方から国産小麦と萩のきな粉を持ってこられていて、この材料でできるもので、と指定がありました。国産の小麦は中力粉で、うどんには最適です。しかし、お菓子に使う小麦はグルテンの少ない薄力粉を使用しますので、はっきり言ってお菓子作りには適していません。

そこで、理論的に配合を考え、製法も工夫することによってグルテンが働かないようにグルテンの力を抑えることができ、お店の従業員の間でとてもいい評価に。

今日、いよいよJAの女性部会の方々への講座でどうかな、とやや不安でしたが、こちらもとっても喜んでいただきました。

というわけで、この国産小麦粉ときな粉を使った新しい商品を近日発売開始します。皆さまお楽しみに!


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今日は月一の気功の日。何日も何日も前から楽しみにしていました。

楽しみにしていただけあって、今回も相当なネガティブなマイナスのエネルギーを受けていたようで、先生がマイナスのエネルギーを除いて、プラスの気を入れて下さいました。

私はまだまだ修行が足りずに、心が弱いようで、他人のマイナスのエネルギーを受けてしまっていたようです。

でも、いくら相手がマイナスの気を発しても、自分がそれを跳ね返すパワーを持っていれば大丈夫、ということなのですが、私はまだまだ心が弱い、ということです。もっと自分に誇りを持ちなさい、と先生に勇気づけられました。月に1回先生にお会いできるのは、本当に楽しみです。先生、ありがとうございました。

三隅勝栄堂

日本画 完成

今日は月に一回の明日葉の会の日。今年の1月から取りかかっていた「椿」もいよいよ完成。

これが2作目で、まだまだ未熟過ぎるのですが、とりあえずの完成は嬉しいものです。という訳で、作品をアップします。

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長野山

鹿野の市街地から車で30分強。岩国市との境界にある長野山の頂上を目指します。

標高1015.3mの長野山。山頂に近づくにつれて霧が深くなっていき、山頂は完全に雲の中。気温も18℃と、とても6月下旬とは思えないほどの肌寒さ。歩いていると、自分がどの道から来たのかわからなくなります。まるでヘンゼルとグレーテルのような感じで、それこそパンくずを落として歩きたくなるようです。

見通しがきかないよく知らない道を歩くというのは、不安を覚えます。
そして、霧の中を歩いている自分はまるで今の心模様のようです。

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龍雲寺

二所山田神社を後にして更に進むと、龍雲寺があります。龍という名前に惹かれたので寄ってみました。

龍雲寺の開基は室町時代応永15年(1408年)、漢陽寺を開山した用堂明機禅師の弟子悟竹瑞頓和尚によって開山されたものといわれている。瑞頓和尚入寂以後は中絶し、数十年間大内氏の末家である江良氏の屋敷として使用されていました。現在の石垣はその頃造られたものとなっているそうです。その後再興し、毛利藩時代は給領地を与えられ、再度本陣(殿様の宿)に仰付けられるなど由緒ある寺院だそうです。

今まで、鹿野に来ても石船温泉に入るくらいでほとんど寺社めぐりなどしたことがなかったので、これだけの古刹があることに驚きました。漢陽寺も龍雲寺も臨済宗のお寺で、それぞれわびさびの感じられる立派なお庭がありました。この庭を眺めているだけで心が安まる思いがします。

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三隅勝栄堂

二所山田神社

漢陽寺から小川沿いに遊歩道が整備されていて、とても楽しく散策できるようになっています。
そこを行くと、二所山田神社があります。

ここは、明治40年に二所大明神と山田権前社が合祀されて社名を二所山田神社と改めたものです。二所大明神の創建は昌泰2年(899年)といわれ、往昔からその社格は高く、元亨元年(1321年)大内氏によって月輪善居院が社房として建立され、毛利藩時代には御祈祷所の格に列せられています。山田権前社の創建は元慶2年(878年)伊勢の国(三重県)山田郷より勧請したものといわれます。それぞれ千年余の歴史のある神社。

参道にある杉はかなりの太さで、その歴史を感じます。また神社の本殿の手前には清流の滝があり、神聖な感じがします。

この神社で有名なのはおみくじです。北海道から沖縄まで全国のおみくじの大半がこの神社で作られているそうです。21代目の宮本重胤宮司が神道教化の雑誌「女子道」発行費用におみくじ作りを始め、明治39年に我国最古の自販機、おみくじ販売機を開発し、現在22代目の宮本清胤宮司は現在流行のマイコン応用で、硬貨を入れると灯ろうに灯がつき、音楽が流れ、おみくじの出る新型を開発したそうです。
おみくじの方も、和歌を詠み込、神の教えを加えて、大吉から末吉の5つの運勢が書いてある。今は不運でも将来は必ずよくなると願いをこめて、「凶」の代わりに「末吉」を用いているそうです。

というわけで、先週もひいたおみくじですが、ここでもひいてみました。結果は小吉。いいときは続かない、ということでしょうか。ですが、またこれからコツコツ頑張ろう。

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漢陽寺

周南市鹿野にある漢陽寺。

漢陽寺は、応安七年(1374)大内氏二十六代当主・盛見が高僧である用堂明機禅師を招いて開山しました。用堂明機禅師は唐に渡り、杭州の竺源遠禅師について十一年余の長きにわたって学び仏道を究めた人。帰国後、中国地方一帯の権力者・大内弘世の篤い帰依を得て、弘世公亡き後、弘世の四男・盛見が父の遺志を継ぎ、伽藍を創建し禅師を招いて開山、大内家の祈願寺としました。

御本尊は聖観世音菩薩。通称厄除観音。
漢陽寺は南禅寺派の別格地で、漢陽寺開山当時の臨済宗は、室町幕府が鎌倉と京都にそれぞれ五山十刹の制度を設けており、京都五山は貴族が疵護していました。五山はいずれもその下に十刹と呼ばれる寺院をもち、住職は代々、幕府の命によって任じられました。南禅寺は、その五山の上に位置し別格の扱いを受けていて、漢陽寺がその南禅寺派の別格地であったのも、名僧といわれた用堂明機禅師の御徳と高名によるところと思われます。

延命長寿と厄除けに御利益があるとされています。

立派な参道に手入れの行き届いた庭、水路は敷地を一周し、建物の下も水路が通っています。いかにも格式のあるお寺は、今も威厳をもって私たちを守ってくださっているようです。

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グラントワ

還りに、益田市にできている「グラントワ」に寄りました。

「グラントワ」は美術館と劇場が併設している施設です。

美術館には特別展はなく、コレクション展の3展だけがありました。

展示室Aは「室町文化展」。展示室Bは、「木版画の世界」。展示室Cは、「細江英公 薔薇刑」。

室町文化展は、いわゆる美術館、という展示。

その隣の木版画の世界は、出雲と石見が生んだ木版画家 平塚運一と水津保美のお二人の作品展でした。木版画を観ていると、学芸員が座る椅子に座っていた中年の男性が声をかけてきて、木版画について色々ご説明をして下さいました。木版画のことについてほとんど何も知らなかったのですが、その方の説明のお蔭で、この作品はどういう木を使って彫られたのかとか、初期のスタイルはデッサンのそのままで、段々作品が増えていくと、彫り方がこう変わっていったとか、とても丁寧に教えていただきました。後で一緒に行った連れが「あの人は水津保美さん本人だったよ」と言います。最初に作者の顔写真があったそうですが私は全く見ていなかったので気付きませんでした。教えてくれれば良かったのに、と言いましたが、「それでなくても長々と話しているのに、教えたらもっと話が長くなるから」と言われました。私もご本人と知らなかったから木版画の事を何も知らなくても平気で話せたんだろうと思います。もし、知っていたらきっと尻込みして話せなかったと思います。

最後は「薔薇刑」。写真のモデルはすべて三島由紀夫。昭和30年代の写真ですが、どの作品もとっても新しい感じです。三島由紀夫の身体は鍛え上げられている感じで、それだけで美しい。その三島由紀夫が一輪の薔薇をくわえていたり、様々なポーズで薔薇とコラボしています。幻想的でシュールな雰囲気は、ここ最近感じたことがない感覚です。

3つの展示がそれぞれ個性的で、不思議な感覚でグラントワを後にしました。

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三隅勝栄堂

大麻山山頂

大麻山神社から300m杉林の遊歩道を登ると大麻山山頂です。

山頂にはたくさんのテレビ局のアンテナが立っていましたが、展望台からの眺めは抜群。日本海を間近に臨むその景色は太古の時代から変わらない景色が広がります。

大麻山神社とともに建立されていた尊勝寺は今はありません。当時の真言宗大麻山尊勝寺は、西の「高野山」とも呼ばれて、きわめて崇敬の厚い霊地として知られていました。寺の開基は天暦3(949)年でした。この山は今はほとんどの部分を車で登ることができるのですが、これを歩いたら大変な事だとおもうような山で、さすがに修験道の山だったんだろうな、と思わせてくれます。

杉の大木ばかりが並ぶ木立には、その木陰から天狗の出てきそうな気配もします。今日はお稲荷様(お狐様)に天狗様をお詣りしたな、後は龍だけだな、と思って山頂で空を見ると、龍のような雲が・・・あったような気がします。
今日は時間がなくて行かなかったのですが、同じ浜田市三隅町の龍雲寺にお参りすると、本堂の天井には立派な龍が天井に描かれています。時間の余裕を持って、太鼓谷稲成神社、大麻山神社、龍雲寺をおまいりすると、お稲荷様、天狗様、龍神様にご挨拶できる、ということになりますね。

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大麻山神社

島根県浜田市三隅町室谷にある大麻山神社。

国道9号線を標識通りに行くと、車の離合は絶対できないような細い道。対向車がこないように祈りながら大麻山を目指します。
やっとのことで辿り着いた大麻山神社入り口。標高600mの大麻山全体が神社の社地であるような大麻山神社はいかにも修験道の聖地、という雰囲気。

大麻山神社は、仁和四年(886)、徳島の大麻比古神社・忌部神社を勧請し、大麻山と号した。
寛平元年(889)、社殿を建立。安和二年(969)、四権現を勧請したという。
天暦三年(949)、神宮寺である尊勝寺を建立し、尊勝寺別当が神社神職を兼ねる、神仏習合の社であった。
その後、戦禍や災害により、再建を繰り返したが、明治になって、廃仏毀釈により、神社だけになったもの。駐車場のところに尊勝寺の庫裏があったという。

駐車場に車を留めると、杉の木立の中の階段を上っていきます。見えてきたのは大麻山神社の社殿。明治期に建立されているので古い社殿ではないのですが、正面にある天狗の面からパワーを感じます。

大麻山神社はには、天日鷲命 猿田彦命 大麻彦命(太玉命)が祀られています。

天日鷲命について。
天照大御神が天之岩戸にお隠れになり、天宇受売命が、岩戸の前で舞われた折、弦(げん)という楽器を司った神様がおられ、天手力男命が天之岩戸をお開きになった時、その弦の先に鷲がとまったので、神様達は世を明るくする瑞象を現した鳥だとお喜びになり、以後、この神様は鷲の一字を入れて鷲大明神、天日鷲命と称される様になりました。天日鷲命は、諸国の土地を開き、開運、、殖産、商賣繁昌に御神徳の高い神様とされます。

猿田彦命について。
天照大御神の孫にあたる瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が高天原(タカマガハラ)から葦原の中国(地上)に降臨するとき、天宇受売命も供として一行に加えられていた。
一行が天津八街(アマツヤチマタ)と呼ばれる、多方面に道が分かれる要所に至ると、そこに魁偉な顔をした大男が立ちはだかって、行くてを塞いでいたので、兵を出したが敗れて帰ってきた。
そこで天宇受売命が派遣され、「天津神が地上にお降りになる道をなぜ塞いでいるのか」と問うと、(天宇受売命に一目惚れした)大男はそれまでの態度を一変して、素直に「私は国津神の猿田彦命と申す。天津神の御子が降臨されると聞いたので、道案内をしようとお出迎えにきたのだ」と答えた。瓊瓊杵尊の一行は、猿田彦命の先導で無事に筑紫の日向の高千穂の峰に到ることが出来た。
このときの出会いが縁で猿田彦命と天宇受売命とは夫婦になったとされる。
この故事から、猿田彦命は道案内の神、道祖神とされ、出世の神、開運の神などともされた。
「鼻長八咫、背長七尺」という記述があり、天狗の原形とされる。「天地を照らす神」ということから、天照大神以前に伊勢で信仰されていた太陽神であったとする説もある。

というわけで、大麻山神社に天狗の面が掲げてあったことが納得できます。

大麻彦命(太玉命)について。
岩戸隠れの際、オモイカネが考えたアマテラスを岩戸から出すための策で良いかどうかを占うため、アメノコヤネとともに太占(ふとまに)を行った。そして、勾玉や八咫鏡などを下げた天の香山の五百箇真賢木(いおつまさかき)を捧げ持ち、アマテラスが岩戸から顔をのぞかせると、フトダマがアメノコヤネとともにその前に鏡を差し出した。
天孫降臨の際には、ニニギに従って天降るよう命じられ、五伴緒の一人として随伴した。日本書紀の一書では、アメノコヤネと共にアマテラスを祀る神殿(伊勢神宮)の守護神になるよう命じられたとも書かれている。
このことから占いの神、神事の神として信仰されています。

開運、、殖産、商賣繁昌の御利益のある天日鷲命。道案内の神である猿田彦命。占いの神、神事の神である大麻彦命。3神が祀ってある大麻山神社に、これから進むべき道を間違えずに選択していくことができるように、との思いでお詣りさせていただきました。

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和カフェ 風香
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今日は、梅雨前線を避けて、山陰方面に午後から出かけました。始めに行ったところは太鼓谷稲成神社。境内には夏越しの大祓のための茅の輪が設置されていました。その茅の輪をくぐり、本殿を拝んだ後、元宮にもお詣りしました。今の本殿が造営された後、この社殿は、「元宮」として残し、御分霊が奉斎してあるそうです。元宮は昔、御殿様の崇敬神社であったため、城に向かって建てられてあり、城内地である為、庶民は参拝出来ず、明治になり一般庶民も参拝できるようになったということです。

元宮の裏には、命婦社があり、今日はこもお詣りしました。命婦社は、お狐様が祀られているところ。元々、命婦とは古くは五位以上に叙せられた女官及び五位以上の官人の妻をいい、前者を内命婦、後者を外命婦といっていました。内待の司つかさの下級の女官のことをいい、稲荷の神使いといわれるお狐様の異称です。脇にはろうそくの火が絶えないようにしてありました。ご本殿はよくお詣りしていたのですが、元宮にお詣りすることも今まではめったにしておりませんでしたし、命婦社の存在を知ったのは今日が初めてでした。

1ヶ月前に厳島神社でひいたおみくじは、「凶」でしたので、運勢が少しは上がっていないかとひいたおみくじは「大吉」でした。今から大きな動きが始まる、ということかなと思います。

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やっかい事???

ある方からの訪問で、突然に湧いた本業以外の役割。せっかく言われるのだから、と安易にお引き受け(基本的に新たな依頼を断ることはほぼしないのですが)したものの、やはりやっかいな事を増やしてしまったようで。明日の夕方は急遽その話し合いとなりました。

この1年仕事に専念してきてこれから更に超ハードとなるというのに、仕事以外を受けてしまって、大丈夫かしら。仲間の一人はとても思慮深いので、とっても及び腰。私も不安がよぎりますが、もう支部の発足を宣言し、すでに60名の参加者がいて、「やーめた!」という訳にはいかない状態です。これもご縁ですから、きちんとした支部にしていくしかないと思っています。この会の方向性は、私が1年以上前からこれからのボランティア活動はこういうことをやっていくべきだ、と思っていたこと。支部として何ができるのか、明日は真剣に考えてよりよい方向にいくようにしたい、と思っています。

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今日は学期に1回ある山口市内の高校の和菓子実習でした。1年生のクラスが対象ですので、昨年度までとは違う新メンバー。今年はどんな子たちだろうか、と楽しみにしていました。その学校に調理科が出来て初年度からしていますので、今年で7年目。毎年毎年カラーが違うので、新年度の1回目の授業は楽しみなのです。そして、今年も鍛え甲斐のある子供達がたくさんおりました。

高校生に対する和菓子実習の場合、和菓子が作れるようになることが主眼ではなく、和菓子実習を通して人間としてどう成長することが出来るのか、ということが主眼ですので、私の教え方もカルチャーセンターでの和菓子講座とは全く違ったものになります。私にとってもこうした機会を与えてもらえることは、人間として成長ができるものになっています。

後は、2学期、3学期と1回ずつですが、どう成長していくのかとても楽しみです。


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今日は、周南市の遠石会館で山口県下商工会議所女性会の大会が開催され、行ってきました。大会の記念講演として、衆議院議員の安井潤一郎氏の講演がありました。安井氏は、早稲田商店会の会長として有名な方で、お話は早稲田商店会がどのように活性化をしていったか、という内容でした。

無知だった私は、早稲田商店会の活動の事を全く知らなかったのですが、商店会の夏枯れ対策に今から12年前に始めた「エコ・サマーフェスティバル」のお話を中心に伺いました。「日本中の環境機械メーカーに呼び掛けたら、空き缶やPETボトル回収、生ごみ処理機、発泡スチロール処理機、段ボール・電池の回収など、驚くほどの企業が無料で参加してくれ」大成功を収め、その後修学旅行の見学としてこの商店街にたくさんの学校が訪れるようになっていったことなど、とても具体的にまた面白くお話をいただきました。

そして最後に、早稲田大学の学生だった乙武洋匡さんのことにも触れ、このイベントの時に、乙武さんから「一緒に街作りをしたい」とのアプローチがあり、講演活動などをジョイントされたことなどをお話しくださいました。

先の郵政選挙のときに衆議院議員になられたばかりの安井氏ですが、お話のテンポが良く、内容もとてもわかりやすく、勉強になりました。中でも、「ビジネスチャンスは、困っている人のそばにある。」という言葉は印象に残りました。これは、お客様の気持ちになって商品やサービスを提供する、ということです。私は、ついつい自分の思いを先行させて商品やサービスを考えてしまいます。この言葉は私にとって大きなヒントになりました。ありがとうございます。

三隅勝栄堂

村上和雄・棚次正和著『人は何のために「祈る」のか』より

「祈りの効用を得るためには、「聴く」という姿勢もすごく大切です。・・・・自分の内から聞こえてくる声に耳を澄ますということです。
・・・中略・・・
 生命の根源に結び付く祈りは、このような内なる声を聴くという効用を得るには一番良い方法なのですが、現代人はこのメッセージを受け取るチャンスが減っています。内なる声に耳を傾けるという心の余裕を失っているのです。
・・・中略・・・
 夢の中のお告げなどというと、たいていの人が笑うでしょうが、そういう体験でチャンスをつかんだ例は少なくありません。蛍光灯の光は昼間見たら、輝いているかどうかわかりません。昼行灯は昼間に灯っている行灯のことですが、ほとんど役に立ちません。
 私たちは祈らなくなったことで、昼行灯になっているのではないでしょうか。真昼の太陽の光と比べれば、それは自分の周りをボーッと照らしているだけです。むしろ周囲をボーッと照らす光のお蔭で、かえって視野が狭まって、遠く離れた親族や友人などから、いろいろなメッセージが送られていても、それを受け止められないでいるのかもしれません。
 そういうメッセージに中身は、携帯電話で話せるようなものではありません。親子の会話でも、お互いに口に出せない思いというものがあります。祈りの心があれば、お互いがそういう気持ちを、言葉に出さなくてもキャッチできるのではないでしょうか。
 それを受信するには、祈る心を持つことです。祈る心を持てば、相手の祈る心と呼応して、何かを感じるはずです。無意識の心で感じたものが意識に変換されるときには身体の働きとつながりますから、遺伝子も当然関係してきます。
 遺伝子には、太古からの人類の祈りが刻み込まれていると思われます。」


この文章も本の中のほんの一部にすぎません。

この部分だけで伝わるものではないので、ご興味のある方には是非読んでいただきたいと思います。

あきらめたり、不平不満を言う前に、「祈る」という心を持てれば状況も少しずつ変わっていくのではないでしょうか。祈ったからと言って、必ずしも叶うわけではないと思います。ですが、「祈る」という心を持ち続ければ、自分の心の有り様が変わっていき、結果的に心が安定していくのだと思います。この本で言っている「祈る」とは、宗教的儀式のみの祈りではなく、人間が誰でも持っているサムシング・グレートに対する祈りです。そんな心はきっと誰にでもあるものだと思います。

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村上和雄・棚次正和著『人は何のために「祈る」のか』より

「私たちの身体は、約60兆個という膨大な数の細胞から成り立っており、その一つ一つの構造はまったく同じにできています。同じ構造の細胞が、髪の毛になり、爪になり、心臓になります。・・・中略・・・
 同じ構造に出来上がっているということは、たとえば今は髪の毛になっている細胞でも、心臓の細胞になる能力を秘めていたということです。つまり、身体のどこにある細胞でも、今、担っている役割は、細胞自身が持つ全能性からすると、ほんのわずかな役割でしかないのです。
 この細胞の働きのカギを握っているのが遺伝子です。遺伝子は細胞の核というところに収められた情報の塊です。それゆえ、遺伝子は「生命の設計図」、あるいは「生命の暗号」ともいわれています。また、遺伝子は身体を作ることだけに働くのではなく、私たちが身をもって生きる営みのすべてを司っています。
・・・中略・・・
 世の中には、いろいろな才能や個性を持った人がいます。身体の強い人、頭の切れる人、優しい人、元気な人・・・・。この違いは遺伝子の働き方のちょっとした差にすぎません。ある遺伝子が活発に働くと、その能力が出てきます。その遺伝子が働かないと、その能力が出てきません。
 全遺伝子情報(ゲノム)は約32億の化学の文字(塩基)から成り立っていますが、ふつうに生きるのに使っているのは、わずか2、3%にすぎません。
 そこで最大の問題は、遺伝子をどう働かせるかということです。自分にとって望ましい遺伝子が働いてくれれば、すごく都合がいい。この遺伝子が働かせることを遺伝子オン、眠らせておくことを遺伝子オフと、便宜上呼んでいます。
 さて、そこで祈りについてですが、この10年ほどの間に盛んになった祈りの研究から見えてきたのは、「祈りには好ましい遺伝子をオンにし、好ましくない遺伝子をオフにする効果がありそうだ」ということなのです。」

この部分は、『人は何のために「祈る」のか』の初めのあたりの一部です。

今日、NHKの収録が無事済みました。本当にありがたいことです。

NHKの全国版で放送してもらえること、これは「祈り」の結果からだったかもしれない、と思うのです。これからしばらくこの本に書かれている事をご紹介できたら、と思っています。


和カフェ 風香
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ある本で知った哲学者 芳村思風先生の言葉

「生きるとは」 

「人間において生きるとは、
ただ単に生き永らえる事ではない。
人間において生きるとは、
何のためにこの命を使うか、

この命をどう生かすかということである。

命を生かすとは、
何かに命をかけるということである。

だから生きるとは命をかけるという事だ。
命の最高のよろこびは、
命をかけても惜しくない程の対象と
出会うことにある。
その時こそ、
命は最も充実した生のよろこびを味わい、
激しくも美しく燃え上がるのである。

君は何に命をかけるか。
君は何のためなら死ぬことができるか。

この問いに答えることが、
生きるということであり、
この問いに答えることが、人生である」

今日の午後、仕事の打合せの前に空いた1時間。1ヶ月半ぶりにお墓参りに行ってきました。生きている時間は、宇宙の大きな流れの中ではほんの一瞬の出来事です。その一瞬を全力で生きなくてどうするのか。このお墓に入るまでの残された時間がどれほどあるのか。私は、どんなことがあっても全力で生きることを誓いました。


三隅勝栄堂

風香涼菓

今日、風香ブランドの涼菓がすべて勢揃いしました。

一つは風香水羊羹。三隅勝栄堂の塩味の効いたさっぱりとした伝統的な水羊羹を風香のパッケージに一新しました。

そして、風香葛切。こちらは黒蜜・抹茶蜜・梅蜜の3種類の蜜が楽しめます。葛切は、筒に入っておりますので、お召し上がりの時に筒から押し出していただきます。結構力がいりますが、楽しいです。

最後が風香じゅれ。これは、今までの三隅勝栄堂で作っていたじゅれを根本から変えました。昨年まで三隅勝栄堂では結構色がはっきりとしたいわゆるゼリー、という感じのものを作っていたのですが、昨年からこれから徐々に「風香」ブランドに商品を移行していくときに、この原色のゼリーでは「風香」のイメージに合わないと思い、昨年より1年かけて考え、今日完成しました。

風香じゅれは3種。従来からある青梅じゅれ。大粒の青梅の密漬けがまるまる1個入っているじゅれです。

そして、ほうじ茶柚子じゅれ。ほうじ茶は和カフェ風香でご注文いただく和香思やお食事に伴って出てくる宇治のほうじ茶です。風香のじゅれには、どうしてもこのほうじ茶を使いたかったのですが、ただのほうじ茶のじゅれでは面白くないので、ほうじ茶にマッチして尚かつさっぱりして美味しいと感じる食材をこのほうじ茶に合わせて入れたい、と考えていました。約1年の間、このことは私の頭の中にいつもあって、時間があるときは考えてきました。そうして得た答えが柚子と合わせること。柚子であれば、国産のものでできます。そして、一番美味しいと感じる方程式(私が独自で持っている理論です)に当てはめて配合を決め、昨日試作を行いました。試作は思った通り大成功。早速今日製品化しました。

最後に柿の葉茶柿じゅれ。柿のゼリーは三隅勝栄堂にもあったのですが、今まではただ柿の実のみをいれたものでした。そこで、柿の葉茶のじゅれにして、その中に柿の身を入れることにしました。ただ、柿の葉茶は苦みがあります。ですが、ある洋酒と合わせることでその苦みは抑えられます。柿の葉には各種ミネラル、ビタミンC、ビタミンB、タンニンが豊富に含まれており、健康と美容に効果的です。特にビタミンCがすごい。レモンの10倍から20倍、緑茶の20倍もビタミンCが含まれています。大量のビタミンCを含む柿の葉茶は、熱に強いためお茶にしても成分が失われません。ご存知のように、野菜に含まれているビタミンCは熱に弱く、加熱によって大半が壊れてしまいますが、柿の葉のビタミンCは「プロビタミンC」という形で含まれているので、熱に強く、お茶にして飲んでもほとんど壊れずに体に吸収されます。そして、ビタミンKやB類も多く含みます。また、アストラガリン、イソクエルシトリンなどのフラボノイド含有しています。ですから、どうしても柿の葉茶をじゅれにしたかったのです。試作も考えていた通り、というよりはそれ以上の出来。美味しいものができた、という喜びは何にも変えられない無上の喜びです。

写真撮影はまだですので、サイトにアップするまでにはしばらく時間がかかりますが、どうぞその折には御利用ください。

風香オンラインショップ
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今日、東京のNHK「おはよう日本」のスタッフさんからお電話をいただきました。午前6時40分からの「まちかど情報室」のコーナーで「手作り風香外郎」の紹介をしたい、とのこと。全国放送です。とっても、とっても驚きました。そして、とっても、とっても嬉しいです。

スタッフの方はインターネットで「手作り 和菓子」で検索されたそうです。インターネットで検索してみると、確かに「手作り 和菓子」では4番目に出てきます。そのお蔭で、NHKの全国放送のスタッフの方の目にとまったのです。ホームページの威力ってすごいと思います。

撮影は6月9日の午後、三隅勝栄堂と和カフェ風香の両方で行われます。日帰りで東京から撮影されに来られるそうです。「手作り風香外郎」の撮影のためだけに東京からいらっしゃるのですから、本当にありがたい限りです。放送日は、6月13日の金曜日、午前6時40分過ぎのNHKです。全国放送ですので、皆さま是非ご覧ください。

このようなすばらしいチャンスをいただけて、本当にありがとうございます、とただただ感謝するのみです。ありがとうございます。

和カフェ 風香
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安岡正篤著「禅と陽明学」より 「歴史は将来を暗示する」

「中国の歴史をひもといても、日本の歴史をひもといても同じことがいえる。戦国時代の当初家康から家光、家綱あたり、3代、4代くらいにかけてはこれ(一本背筋が通っている)がある。ところが綱吉時分からだんだん六朝時代と同様の傾向になっていって、・・・次第に線が細くなって深味を失って浅薄になり、人間が四分五裂、つまり人格分裂、精神的破産者のような者が増えてきた。・・・・・幕末の武士階級の一般的な風潮を痛烈に批判した落首の中にいくつも面白いのがあるが、その中で傑作は、
   世の中は左様でござる、ごもっとも、
          何とござるか、しかと存ぜず
というのがありますね。「世の中は左様でござる」、みな付和雷同する。なんでもわかっておるのかと思うとそうではない。何かちょっと圧力をかけられるとじきに「ごもっとも」で参ってしまう。「左様でござる、ごもっとも。」これは足りない奴だ、何を考えているんだろうと、「何とござるか」と突っこんだら「しかと存ぜず」。民主主義といっても、自由主義といっても、マルクス主義といっても「しかと存ぜず」だ。一騎打ちをやろうかといって出てくる奴は滅多にいない。たいてい、みんな逃げる。これはしかと存ぜぬものだから、そこで集団を借りてギャーギャーいうだけのことである。
明治時代と今日を比べてみてもそうです。明治時代の人間にはこれがある。骨が太い。一本背筋が通っている。案外人間的な深さというものがある。ところがだんだん人間が弱くなって、利口のようで実は浅薄、そして人間的な味というものはだんだんなくなってしまった。そうして徒に哲学だの文学だのというものがはやる。今日の時代、文化というものを考察すると、あらゆる世界の歴史に微して、明らかにこれは没落の運命にあることを明白に証明している。これをどうして救うかということが歴史の大きな課題であります。・・・・・・過去を検討することが将来を暗示する。したがってこういう歴史と哲学というものに沈潜するということが、我々の前途を照らす一番の光明をえることがあって、そういう意味においてショーペンハウエルの「孤独はすべて優れた人物の運命である」という言葉はなかなかに味わい深い。・・・・・・日本の進歩的文化人、マスコミ、ジャーナリズム、そういうものに代表される日本の世論及び世間の知識階級の気分、ムード、その思想言論というものを見てくると、・・・・なかなか洗練され、表現もうまい。思索・議論・文章は微に入り細にわたり、言うところは平和であり、福祉、幸福であり、友好であり、親善であり、自由である。人間があか抜けて利口である。しかし、これらの人びとに共通して欠けるところは、自然の素朴な逞しさ、強さといったものである。理論だの技巧だのではなく、人間としての心、魂の深さ、それから豊かな人間味、そういうものがあるのかというと、これはない。議論が浅簿でカサカサしている。本当に歴史は例証からなる哲学であります。」

今、世間で起こっているエリートや高学歴と言われる人たちの犯罪にしても、船場吉兆の問題にしても、彼らは、きっと「あか抜けて利口」なのだと思う。だけど、「人間としての心」や「魂の深さ」はどうか。もしあれば、そんな犯罪を犯すことはないであろうに。私たちが生きていく上で大切な事は、「人間としての心」だと思う。「人間としての心」があれば、人は立派に生きていくことができる、と思っている。自分は「人間としての心」を持って毎日どんなことにも臨んでいるだろうか。自分のまわりにいる人もすべて「人間としての心」を持って仕事をしているだろうか。今、社会で起こっていること、誰でも「人間としての心」がないと大きな犯罪につながりかねない危険があると思う。「心」のある仕事をしないといけない。


三隅勝栄堂

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