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和香思とは
和・・・心が和み(なごみ)、和らぐ(やわらぐ)お菓子です。
香・・・自然の香りを感じられるお菓子です。
思・・・自分のこと、そしてまわりのことを思う時間のもてるお菓子です。
そんな和香思のお話を中心に日本の文化をご紹介します。


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玉の岩屋

この前ブログで紹介した防府市の玉祖神社。その北600mの田んぼの真ん中に玉の岩屋があります。ここに行くには、道路に車を止めて、田んぼの畔を歩いて行かなければ行けません。ここは、玉祖命の墳墓と伝えられています。

玉祖命は、岩戸隠れの際に八尺瓊勾玉を作った神様です。天孫降臨の際ニニギに附き従って天降るよう命じられ、天児屋命(あめのこやね)、布刀玉命(ふとだま)、天宇受売命(あめのうずめ)、伊斯許理度売命(いしこりどめ)と共に五伴緒の一人として随伴されました。

日本書紀の岩戸隠れの段では、八尺瓊勾玉を作ったのは「玉造部の遠祖・豊玉神(とよたまのかみ)」(第二の一書)、「玉作の遠祖、伊弉諾尊の児・天明玉命(あめのあかるたまのみこと)」(第三の一書)としている。どちらも玉造部の祖としていることから玉祖命と同神と考えられています。

玉祖神社の社伝には、 天孫降臨の後に、現在防府市のこの大前(おおさき・大崎)の地に座して中国地方を平定し、ついにこの地で神 避りました後、御祖(みそ・江良)の地(玉の岩屋)に葬り、その威霊を祀たのが当 社の起源とし創建年月は不詳ですが、以後、玉造連玉祖氏が祭祀を司ったと思われています。史料にも天平十年(七三八)の周防国正税帳に祢奇(祢宜)玉造部五百背の名が、 更に長徳四年(九九八)今昔物語巻十七に宮司玉祖惟高の名が見えます。

天孫降臨でお伴をされた神様のお一人がこの防府市で亡くなられ、そのお墓がある、というのは驚きです。玉祖神社の総本社はこの防府市にある玉祖神社なのです。大阪府八尾市にも玉祖神社がありますが、ここから勧請されているのです。

防府市には国衙が置かれていました。国衙は、8世紀から平安時代まで日本の律令制において国司が地方政治を遂行した役所が置かれていた区画を指す用語です。玉祖神社の境内にも古い森がありますが、この他にも田んぼの間に森が所々にあります。そして、石碑や鳥居も街道沿いに鎮座しています。玉祖神社の辺りは結構神秘的です。




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玉祖神社

この1年近く玉祖神社にお詣りしていなかったことが、ここ最近とても気になっていました。そこで、午後仕事が終わってから玉祖神社にお詣りに行くことに。でもその前に、近いのに八坂神社にもお詣りしていなかったことも気にかかり、八坂神社へお詣り。それから防府市にある玉祖神社へ。

この神社はたまのおやじんじゃといいます。周防の一宮なので、周防に住む私は、実は長門一宮の住吉神社に行く以上に玉祖神社にお詣りしないといけないのですが、なかなか防府市に近いようで行っておらず、まずお詣りして神様に不義理をお詫びしました。

延喜式神名帳には「玉祖神社二座」とあるので祭神は二柱ということですが、一柱は玉祖命(たまのおやのみこと)であるが、もう一柱は不詳であり、石凝姥命とする説などがあります。玉祖命・石凝姥命ともに日本神話では岩戸隠れの段に初出し、天孫降臨の段では五伴緒として天孫とともに天降った神様です。

玉祖命は玉祖連の祖神とされる。岩戸隠れの際に勾玉を作った神であることから宝石関係者、レンズのことを「玉」ということから眼鏡関係者、水晶を使用することから時計関係者より信仰を集めます。

社伝によれば、玉祖命がこの地で亡くなったため、社殿を造営して祀ったのに始まるとされ、附近には玉祖命の墳墓と伝えられる「玉の石屋」があります。平安時代には周防国一宮として崇敬を受け、中世以降も歴代領主から崇敬されました。

例祭の前日の夜に「占手神事(うらてしんじ)」が行われます。神功皇后が三韓征伐の際に当社で軍の吉凶を占ったことに由来すると伝えられます。相撲のような所作を行う神事で、夜の神事、占手相撲とも呼ばれます。

水晶・占い・・・。というわけで、私が風香で買った水晶のペンデュラムを持ってお詣りしました。そのペンデュラムも手と同様にお浄めをし、私の手の中で参拝し、その後神社の階段に座り、ペンデュラムを手に知りたい事を占いました。結果は・・・。頑張るしかないでしょう。

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龍雲寺

二所山田神社を後にして更に進むと、龍雲寺があります。龍という名前に惹かれたので寄ってみました。

龍雲寺の開基は室町時代応永15年(1408年)、漢陽寺を開山した用堂明機禅師の弟子悟竹瑞頓和尚によって開山されたものといわれている。瑞頓和尚入寂以後は中絶し、数十年間大内氏の末家である江良氏の屋敷として使用されていました。現在の石垣はその頃造られたものとなっているそうです。その後再興し、毛利藩時代は給領地を与えられ、再度本陣(殿様の宿)に仰付けられるなど由緒ある寺院だそうです。

今まで、鹿野に来ても石船温泉に入るくらいでほとんど寺社めぐりなどしたことがなかったので、これだけの古刹があることに驚きました。漢陽寺も龍雲寺も臨済宗のお寺で、それぞれわびさびの感じられる立派なお庭がありました。この庭を眺めているだけで心が安まる思いがします。

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三隅勝栄堂

二所山田神社

漢陽寺から小川沿いに遊歩道が整備されていて、とても楽しく散策できるようになっています。
そこを行くと、二所山田神社があります。

ここは、明治40年に二所大明神と山田権前社が合祀されて社名を二所山田神社と改めたものです。二所大明神の創建は昌泰2年(899年)といわれ、往昔からその社格は高く、元亨元年(1321年)大内氏によって月輪善居院が社房として建立され、毛利藩時代には御祈祷所の格に列せられています。山田権前社の創建は元慶2年(878年)伊勢の国(三重県)山田郷より勧請したものといわれます。それぞれ千年余の歴史のある神社。

参道にある杉はかなりの太さで、その歴史を感じます。また神社の本殿の手前には清流の滝があり、神聖な感じがします。

この神社で有名なのはおみくじです。北海道から沖縄まで全国のおみくじの大半がこの神社で作られているそうです。21代目の宮本重胤宮司が神道教化の雑誌「女子道」発行費用におみくじ作りを始め、明治39年に我国最古の自販機、おみくじ販売機を開発し、現在22代目の宮本清胤宮司は現在流行のマイコン応用で、硬貨を入れると灯ろうに灯がつき、音楽が流れ、おみくじの出る新型を開発したそうです。
おみくじの方も、和歌を詠み込、神の教えを加えて、大吉から末吉の5つの運勢が書いてある。今は不運でも将来は必ずよくなると願いをこめて、「凶」の代わりに「末吉」を用いているそうです。

というわけで、先週もひいたおみくじですが、ここでもひいてみました。結果は小吉。いいときは続かない、ということでしょうか。ですが、またこれからコツコツ頑張ろう。

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漢陽寺

周南市鹿野にある漢陽寺。

漢陽寺は、応安七年(1374)大内氏二十六代当主・盛見が高僧である用堂明機禅師を招いて開山しました。用堂明機禅師は唐に渡り、杭州の竺源遠禅師について十一年余の長きにわたって学び仏道を究めた人。帰国後、中国地方一帯の権力者・大内弘世の篤い帰依を得て、弘世公亡き後、弘世の四男・盛見が父の遺志を継ぎ、伽藍を創建し禅師を招いて開山、大内家の祈願寺としました。

御本尊は聖観世音菩薩。通称厄除観音。
漢陽寺は南禅寺派の別格地で、漢陽寺開山当時の臨済宗は、室町幕府が鎌倉と京都にそれぞれ五山十刹の制度を設けており、京都五山は貴族が疵護していました。五山はいずれもその下に十刹と呼ばれる寺院をもち、住職は代々、幕府の命によって任じられました。南禅寺は、その五山の上に位置し別格の扱いを受けていて、漢陽寺がその南禅寺派の別格地であったのも、名僧といわれた用堂明機禅師の御徳と高名によるところと思われます。

延命長寿と厄除けに御利益があるとされています。

立派な参道に手入れの行き届いた庭、水路は敷地を一周し、建物の下も水路が通っています。いかにも格式のあるお寺は、今も威厳をもって私たちを守ってくださっているようです。

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和カフェ 風香
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